今回はご好評につき、Kazuma Art 第2弾!
僕の絵の世界を少しだけご紹介します。
今回の作品は、いわゆる抽象絵画と呼ばれているジャンルです。
抽象絵画とはウィキペディアによりますと
「狭義では、非対象絵画、無対象絵画、絶対象絵画のように、具体的な対象をかきうつすということのない絵画を意味する。
広義には、ピカソのキュビスム作品など、厳密には具象であっても事物そのままの形からは離れている(事物の形にさまざまな変化が施されている)絵画を含むこともあるし、具象絵画に期待される技術的な基礎や表象の卓越性が伴わない絵画を指すこともある。」
との事です。
ちょっと小難しい話でしょうか。
つまり、具象絵画と抽象絵画の違いの解釈というのは実は上述の通り曖昧なんです。
しかし、今回の僕の作品は、まったく具体的な形状をモチーフにさえしておらず、限りなく抽象絵画らしい抽象絵画だと思いますよ。。。たぶん。
画材を手にとって、描く寸前までノープラン。
混沌の中に表出される色の重なりを遊ぶ、幼児のクレヨン遊びのようなものです。
感性の赴くまま手を動かしているつもりですが、どこかに意図が働いています。
「こうあれ」という意図が。
必然の中の偶然。
偶然の中の必然。
めちゃくちゃに無意味に手を動かしているようで、その自分の筆の軌跡の間に「美」を発見したりします。
「美」を見つけたと思ったら、すぐに何処かへ消えていき
諦めかけると、ひょっこり顔を出す。
きっと、幼子のクレヨン遊びは、自分で手を動かしながらも感動の連続だったのだと思います。
絵の具の滲みなんて100%コントロールできませんよ。
だからこそ、描いている最中に絵描き自身が感動するんです。
絵描きは、きっと職業の名称ではなく、生き様の名称。
絵画は作品を観て他人から評価されます。
人間性ではなく作品性を評価されるんです。
物理世界に生きている我々なので、それはそうですよね。
それは確かにそうなのかもしれませんが、
僕は、絵を描く「行為」そのものに価値があるんじゃないかと思うのです。
結果「作品」ではなく、行為「プロセス」に。
なんか、メチャクチャなこと言ってますね(笑)
つまり、天才ピカソの描いた「絵を描く行為」も、
僕の小3の娘の「絵を描く行為」も同じく尊い。
純粋であればあるほどに。
なぜそう思うか?
人間の一生なんて、神の視点から見たら、ほんの一瞬。
我々人間は人間の物差しで優劣を決め、評価します。そりゃそうですよね。
でも、すご〜くすご〜く大きな視点から見ると、きっと結果よりもプロセスが
大切なのではないかと思うのです。
どう生きたか。
あれ?
だいぶ話がそれてしまいました(笑)