若い頃に「自分さがし」という事を考えたご経験はないでしょうか?
僕にもそんな時代がありました。
「自分さがしの旅」って言うほどのものではありませんが、大学卒業後に単身ドイツヘ行き、約1年間滞在しました。
1996年~1997年にかけての事です。
当時、僕は画家を志していたわけですが、1996年と言えば現代アートの中心地はフランスのパリでもなく、アメリカのニューヨークでもなく、ドイツのベルリンだったように思います。
。。。それでドイツ?
絵画留学というのは表向きで、鬱屈としたやり場のない若い(青い)エネルギーの向けどころがわからなかったのだと思います。
自分って何?
今生きているこの人生って何?
答えの出ない自問自答をし、悶々としながら生きてたように思います。
とにかく地元から出た事もなかった僕の「狭い世界」から「外の世界」へ抜け出したかった、見たかったという青臭い衝動だったのかな。。。?
動機はさておき、思い切って行動に移したおかげで、言葉も文化も違う国でとても貴重な体験をしました。
語りたい旅行体験(珍道中)はいろいろとありますが、長々と書いてもしょうがないですので、僕の結論を言いますと、
「自分なんてどこにもない」です。
体験や出会いを通して「自分」というものが見つかるわけではないのですね。
他人との関係性の中で自分が存在すると気付きました。
つまり、出会う人の数だけ色々な違う自分がいるわけです。
奥さんに対しての僕
娘に対しての僕
友人と会ってる時の僕
これぞ、唯一無二の自分なり~。。。
なんていう絶対的な変わらない自分を定義する事なんてできないのです。
そんな事をずっと思っていたら、僕と同じ事を言ってる、とある脳機能科学者の本に出会いました。
下記の文章はその本からの抜粋です。
以下抜粋______
存在とは関係の結節点であるというのは、20世紀の西洋哲学でも言われていますし、東洋では2500年も前にお釈迦様が言っていることです。お釈迦様はこれを「縁起(えんぎ)」と呼びました。全ての存在は「縁」によって「起こる」という事です。これを理解するとこう考える事が可能になります。
「自分とは単独で存在するものではなく、他者との関係性によって存在するものである」このように考えれば、「私が、私が」と自分の事ばかり考えても上手くいかないことがわかります。他人との関係こそが自分を規定するものなのです。
抜粋おわり_____
う~ん、深いですね。
「旅」という「行動」もいろいろと学ばせてもらえます。
画家は挫折しましたけどね~(苦笑)
写真は1996年の頃の旅してる僕です。
若い~。。。
釣りベスト着てる。。。ダサい~。。。(苦笑)
もう1枚の写真は、当時の質素な夕飯の模様です。
涙が出てきませんか?(笑)
若き日のいい旅でした。