今日は本のご紹介です。
ニーチェを理解するには、とてもわかりやすく面白い本です。

はじめてのニーチェ
適菜収(著)
飛鳥新社(出版)

とくに興味深かったページを下記に抜粋しました。

 

 

 

 

 

【「神は死んだ」ってどういう意味?】

p.76

 

ニーチェは「神は死んだ」と言いました。
気の早い人はそれをもって、「ニーチェは無神論者だ」などと言いますが、違いますよ。

いないものは死にませんから。

死んだからには、いたんです。

そんなのがいないということなら、当時の子どもだって知ってます。

神の視点=絶対的な視点など存在しない

ということをニーチェは言ったのです。
神によって保障される概念やィデオロキーが通用しなくなったということ。
真理を永遠のものと考えるプラトン=キリスト教的な信念がデタラメであること。
それが「神は死んだ」という言葉の意味です。

西洋の哲学はそもそも神学から始まりました。
だから、いろいろなことを説明するために、常に「神の視点ー絶対的な視点」が持ち出されてきました。
その哲学の歴史にニーチェは終止符を打ちました。
要するに、「真の世界」「正しい世界認識」にどうやって至るのかという考え方そのものを、ニーチェは否定したのです。
一体どうやって?
「パースペクティブ」「権力への意志」という考え方によってです。

 

 

 

【客観的というウソ】

P.78

 

学校では「物事を客観的な視点で考えなさい」と教えます。
つまり、自分の視点を離れて、「誰もがそう考えるように考えろ」というわけです。
でもそういう言葉はあらゆる意味でウソです。
ニーチェは、すべての認識は「パースペクティブ」に基づくと言います。
これは非常に大事な考え方です。

「パースペクティブ」とは、絵を描くときに遠近感を出すときの手法です。
たとえば、同じ大きさの物でも、近くにあるものはより大きく、遠くにあるものはより小さく描く。
そうすると絵は立体的に見えるようになります。
また、特定の角度から眺めると、物はひずんで見えます。
だから、絵を描くときには 画家(作者)の視点をどこかに設定することが必要になる。
絵の中の世界は、画家の視点によって出来上がっています。
これは現実の世界でも同じ。

世界は認識する者の視点により成り立っている

ニーチェは言います。

人問は目や月や鼻などの感覚器官を使って世界を認識しています。
感覚刺激が脳内でイメージに転換され、さらに言語に転換される。それが概念になり、世界が発生するわけです。
つまり、客観的な世界など、最初から存在しない。
世界とは、それぞれの認識器官が生み出す種の虚構であるというわけです。

客観的な歴史というのもウソです。
それは歴史の中を生きている自分の視点ではなく、その外部に視点がある。
そこにあるのは神の視点です。
ニーチェはそうした歴史観も否定しました。

 

 

【世界とは何か?】

P.80

生物は自分のパースペクティブにより、世界を認識します。
アリはアリのパースペクティブにより、アリの世界を生み出します。
イヌはイヌのパースペクティブにより、イヌの世界を生み出します。
人問も同じです。
アリの世界とイヌの世界と人問の世界は違います。
感覚器官が違うからです。
ニーチェは認識されたものが世界であると言います。
アリとイヌと人問に共通する「唯一の真の世界」がどこかにあるわけではありません。

昔の哲学者は、アリもイヌも人間も同じ世界に住んでいると思っていた。
21世紀の現在でも、素朴な人はみんなそう信じています。
人間はアリやイヌよりも知的レベルが高いので、世界を「より正確に」認識することができるのだと。
でもそれは、人問特有の逆転した世界観にすぎません。

実際には、

人間の感覚器官と 脳の仕組みが世界を作っている

のです。
つまり、認識の主体の数だけ、無数の解釈がある。

「事実なるものは存在しない。ただ解釈があるだけだ」

とニーチェは言います。

ニーチェは「真理」「真の世界」に関する考え方を根底からひっくり返しました。
「正しい世界認識へ至る道」という哲学者たちの考え方は、実はキリスト教そのものだったわけです。

客観存在としての世界は存在しない。
ただパースペクティブに基づき、個別の世界が発生するだけだ。
そこには解釈しか存在しない。
では、一体なにに基づいて解釈は行れるのか?
この疑問に答えるのが、「権力への意志」という考え方です。

 

 

 

【「権力への意志」って何?】

P.82

 

「権力への意志」(「力への意志」とも訳されます)は、ニーチェ哲学の核心です。
でも、この言葉は結構、勘違いされています。
言葉の響きからか、「強者による力の論理」とか「上昇志向の田舎者がとにかく成り上がってやろう」みたいな話のように誤解する人がいる。
違いますよ。
権力への意志とは、

世界はなぜ存在するのか?

という疑問に答えるものです。
権力への意志とは、認識者そのものを成り立たせている力関係のことです。
人間は自分の生存に有利になるように世界を解釈する。
その基盤となっているのが、生に対する保存・成長の欲望です。
アリやイヌも同じ。アリはアリの都合に合わせて世界を解釈する。するとそこには、アリの世界とアリの真理が生まれる。

キリスト教世界もまた、権力への意志が生み出すものです。彼らは自分の弱さを正当化することで、生き延びようとするわけです。

「善悪の彼岸」の議論をまとめましょう。

 

どこかに唯一の真理、真の世界があるのではない。
権力への意志により解釈され、発生した個別の真理、個別の世界があるだけだ。
だから認識の数だけ真理は存在する。
そういう意味で、世界は虚構であり、真理は誤謬(あやまり・まちがい)なのだ。
しかし、その虚構と誤謬は、生命を維持・促進させるための条件である。
論理的な虚構を承認することなしには、絶対的なもの・自己同一的なものという純然たる仮構の世界を手がかりにして現実を測ることなしには、数によって不断に世界を偽造することなしには、人間は生きることはできないだろう。

 

つまり、パースペクティブに基づく見せかけの世界こそが、私たちにとっては唯一の世界なのです。
ニーチェは「権力への意志」という考え方により、西洋における世界観を一変させました。

 

Friedrich Nietzsche
フリードリヒ・ニーチェ

ドイツの哲学者、古典文献学者。

鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者と称される。

国: ドイツ
生: 1844年10月15日
没: 1900年8月25日(享年55)