生きるとは日々の暮らしそのもの。
何も特別な事ではなく、毎日繰り返し継続している行為。
仕事であったり家事であったり、人とのコミュニケーションであったりと。
であるならば、
その目の前の行為一つ一つを丁寧にやった方が心豊かな時間を過ごせるのではないか。
そんな仮説を立てました。
朝起きて洗顔し、朝食をとる。
朝のゴミ出しをして洗濯物を干し、コーヒーを淹れてパソコンに向き合い仕事に取り掛かる。
食器が乾燥棚に溜まっていれば食器棚に戻し、シンクに食器がたまっていれば洗って食器棚に。
家に修繕箇所があればDIYで補修。
ちなみに昨日はお庭のガーデンシェッド(西洋小屋)の屋根を修繕し塗装。今日は家の外壁の一部を塗装。
土日はDIYで修繕しながら楽しみました。
そして時にはお庭を眺めほっこりし、夕方には洗濯物を取り込み、お風呂掃除をして湯を沸かしスポーツジムに行って筋トレと有酸素運動をし、
帰宅してから汗を流して家族揃って夕食を摂る。
食後に家族でトランプの大富豪を2回戦楽しみ一喜一憂して、家族それぞれ自由時間を経て就寝します。
僕は1日の多くの時間を仕事に割いていますがそれでも上述の家事は毎日おこなっています。
何も特別な事はありませんが、退屈だと思ったり飽きたりする事はありません。
とても精神的にバランスのとれた状態です。
それはたぶん一つ一つを丁寧に行なっているからかもしれません。
何よりもこれは雑事ではなく人生において「暮らしそのもの」という事に気づけた為かもしれません。
嫌々やるのではなく毎日の仕事や家事や家族とのコミュニケーションにささやかな幸せを感じています。
カズマデザインのテーマでもあり、
僕自身の人生のテーマでもある「日々の何気ない暮らしを楽しむ」という言葉の中には僕の人生哲学がギュッと濃密に詰め込まれた魔法の言葉です。
野に咲く花を見て、命の美しさ儚さ力強さを感じたり、
土塀の傷を見て経年変化の美を感じ 悠久の時を感じたり「日々の何気ない暮らしを楽しむ」為には、
自分自身の感受性、受信装置を磨いておく必要があります。
日々の暮らしに不平不満ばかり言って何かにつけて被害者意識を持って他人のせいばかりにしているマインドを持った方を時々みかけます。
「自分100」という言葉を我が師から教わりました。
自分に関わるすべての事象はアクシデントも含めて自分の責任100%として考えるといった意味です。
このマインドを持った方が自己成長できるのです。
他人のせいばかりにしている人は成長できませんし、稚拙なまま肉体だけは年老いていきます。
人生には有用期間があります。
僕も50歳を過ぎてぼーっとしてる場合じゃないなと思いました。
できれば老成して寿命がきたらピンピンコロリと今世を卒業したいですよね。
日々の暮らしを「何も特別な事はありません」と上述しましたが訂正します。
「日々の何気ない暮らし」こそが特別な毎日、ギフトです。
きっと、シアワセは日々の暮らしの足元にあるんじゃないかなと思いますよ(^_^)